恋愛の二重性を唄う吉田美和(I)——週に1度の恋人

はじめに

私は、中学生の頃から現在進行形でDREAMS COME TRUEの大ファンである。最初はドリカムの歌のメロディーやボーカルの吉田美和の歌唱力に惹かれていたが、あることをきっかけに、作詞家・吉田美和の歌詩世界にも次第に関心を寄せるようになっていった*1。歌詩世界の素晴らしさに魅了されるうちに、いつしか吉田美和の詩の世界について分析したものを、何らかの形で発信してみたい、と考えるようになった。

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そんなことを考えていたら、DREAMS COME TRUEの「Ring! Ring! Ring!」の歌詩をファッションに注目して分析する上掲コラムを目にした。このコラムに触発され、吉田美和の歌詩についてまとまったものを書きたいという意欲が湧いてきたので、本稿は吉田美和の歌詩世界に迫っていきたいと思う。

恋愛の二重性

上掲コラムではどんなことが書かれているのか、簡単に紹介しておこう。「Ring! Ring! Ring!」の歌詩において、主人公は“ヤツ”からの誘いに対して「暇だったからよ」「しょうがないから行ってあげる」といった言葉を並べ、強気な自分を取り繕う。しかしそうした〈建前〉の裏には、主人公も気づいていない(気づこうとしない)、“ヤツ”に早く会いたくて仕方ないという〈本音〉が潜んでいる。言葉で繕う〈建前〉に潜む〈本音〉は、服装や髪形といったファッションに関する情報によって提示されていた。

「Ring! Ring! Ring!」の「起」や「承」においては、この〈建前〉と〈本音〉の乖離が目立つものの、「転」を迎えて主人公の〈本音〉が“ヤツ”に完全にばれてしまってからは、〈本音〉を曝すようになり、「結」において〈建前〉と〈本音〉は主人公のなかで一つの自己として融解していく。「Ring! Ring! Ring!」は、主人公が「強気な自分」という建前によってではなく自分らしく相手と接するようになるまでの過程を描いている、という結論でもってエッセイは締められる。

コラムのテーマがファッション×テクノロジーであったためか、ファッションという記号の役割にフォーカスを当てて上掲コラムは執筆されているようにみえるが、改めてこうしてコラムの内容を振り返ってきたときにみえてくるのは、恋愛の二重性というテーマである。

はてさて、恋愛の二重性とは何か。これは私の造語だが、建前と本音といった二重の自己や、相反する(ようにみえる)二重の気持ちなど、恋愛をめぐって揺れ動く2つの感情が折り重なって存在している様子を指している。

会いたいのに会いたくない、好きなのに嫌い、伝えたいのに伝えられない…恋をすると人は、こうした矛盾する感情に苛まれることがある。また、嫌っているはずの相手への感情が、実はその相手への恋愛感情の裏返しであることに気づくといったことは、恋愛漫画や小説、映画など様々な作品で広く描かれてきた。好きの反対は無関心とはよく言ったものだ。恋愛をめぐっては、好きや愛してるといった言葉だけには包含しえない、二重の感情や二重の自己に苛まれる人がいる。

こうした恋愛の二重性というテーマは、何も「Ring! Ring! Ring!」に限られるものではなく、吉田美和の作詩した他の曲にも広くみられるのではないか。こうした関心のもと広く吉田美和の歌詩世界を探索してみると、恋愛の二重性を唄う興味深い曲がいくつもあることに気づいた。

前置きがかなり長くなってしまったが、本稿は「Ring! Ring! Ring!」において提示された恋愛の二重性というテーマについて、さらに深めていきたい。今回は、恋愛の二重性を唄う多数の曲のなかから「週に1度の恋人」を取り上げ、どのように恋愛の二重性が現れ出ているのか、「Ring! Ring! Ring!」と比較しながら見ていこうと思う。

なお、本稿で引用された実際の歌詩や曲の背景の説明以外に書かれていることは、すべて筆者の一つの解釈にすぎないことをつけ加えておく。

 

「週に1度の恋人」とは

「週に1度の恋人」は、1989年3月にリリースされたドリカムのファーストアルバム「DREAMS COME TRUE」に収録されている。その後、同年6月に発売のシングル「APPROACH」にカップリング曲として収録されている。吉田美和はこの曲を高校生の時には作っていたらしく、ベーシストの中村正人がドリカムの結成前吉田と初めて会った時、吉田が中村にアカペラで唄って聞かせたという逸話をもつ曲だ。ファンの間では根強い人気がある曲で、コンサートでも度々披露されている(2016年のライブツアー披露時の映像は、下掲のYouTubeから見られる)。なお、歌詩を引用する際は、基本的にファーストアルバム「DREAMS COME TRUE」の歌詩カードを典拠とする*2

歌詩:

DREAMS COME TRUE 週に1度の恋人 歌詞 - 歌ネット

コンサート映像(裏ドリワンダーランド2016より):

www.youtube.com

 

曖昧で不安定な関係を続けること

「週に1度の恋人」というタイトルからは、この歌詩世界の恋人関係は「週に1度」という条件のもと成り立っていることが分かる。一般に恋人関係は、何らかの前提条件なく続くもので、関係性に対してお互いが全面的にコミットメントするものとされているだろう。しかしこの恋人関係には「週に1度」という条件がある。この謎は、冒頭の歌詩においてすぐに解かれる。

週に1度だけ 二人だけの夜が来る

かすかに残してる 彼女の匂いを無視して

「恋人」である主人公の相手には、彼女がいるのだ。主人公が相手と二人だけの時間を過ごせるのは週に1度だけで、他の日は彼女と過ごすのだろう。彼女の残り香を無視する主人公は、相手に彼女がいることを当然知っている。

せつない心は 誰にも見せずに

どんな無理な“カケヒキ”もやってのける

彼女がいることを分かっていながら相手と週に1度の恋人関係を続ける主人公は、そのことに切なさを覚えているようだ。驚きなのは、「誰にも見せずに」という一節である。この恋人関係やその関係に対する想いを、主人公は誰にも話さない。恐らく、友達や家族にも内緒の関係なのだろう。誰にも打ち明けず、一人で抱えるしかないことの辛さは、いかほどのものだろうか。

彼女がいる人と曖昧で不安定な関係を続けているこの状況を一人で抱えながらも、主人公は相手との“カケヒキ”さえやってのけるという。

私からは電話はしない

Callが鳴っても すぐには出ない

ホントは待ってたなんて言わない

最後まで きっと…

これが、主人公の駆け引きの内容である。「Ring! Ring! Ring!」に表れていた、強気な建前で本音を隠そうとする主人公像がここにも現れている。自分から電話したり電話にすぐに出たりしないことで、相手からの連絡を待っているという本音を悟られないように振る舞っている。このサビが「最後まで きっと…」で締められていることは、のちに重要な意味を帯びてくる。

一緒に過ごせる週に1度というのが、決まった曜日なのかどうかは明示されていない。しかし、「私からは電話はしない Callが鳴っても すぐには出ない」という一節を見れば、主人公は相手からの電話で呼び出されるようである。曜日は不特定なのかもしれないし、曜日が決まっていたとしても、相手の都合の悪いときには電話がかかってこないのかもしれない。相手が彼女と一緒に夜を過ごせない時や、相手が暇しているときのように、相手の都合のいいときにだけ、主人公は相手と二人きりの時間を過ごせるのである。相手の都合に合わせて会えたり、会えなかったりする、まさに“都合のいい存在”扱いされているのである。

 

“都合のいい存在”で居続けること

さて、歌詩は2番に移る。主人公はそのことをどう思っているのか。

今もおびえてる いつか来るさよならに

“ホンキ”を見せたなら それで負けなのを知ってて

苦しい涙は 誰にも見せずに

彼女のこと話しても 笑ってあげる

主人公は相手とさよならすることを、何よりも恐れている。“ホンキ”、相手との真剣な関係(お互いに恋人がいない状態で交際をする)を望んでいることを相手に悟られてしまったら、「負け」になってしまうのである。「負け」という言葉が選択された背景には、1番にあった駆け引き・勝負のイメージが引き継がれていると考えられる。本音を悟られたら負けになってしまうならば、主人公は“都合のいい存在”扱いをされ続けることを望む。だから、相手との曖昧で不安定な恋人関係を続けるし、相手が彼女のことを話題に挙げても、嫉妬や不安の気持ちを見せることなく、笑って対応するのである。

私からは電話はしない

Callが鳴っても すぐには出ない

愛してなんて口にしたりしない

最後まで きっと…

1番のサビと見比べると、3行目が違うのが分かる。1番では相手からの連絡を待っていたという本音が描かれていたのに対し、ここでは愛して、というより包括的な本音が描かれている。しかし、当然この本音は相手に届けられることはない。そしてこのサビも、「最後まで きっと…」というフレーズで締めくくられる。

 

ひた隠しにされる本音

さよなら言われて 泣き出さないように

いつでも平気な顔で うなずけるように

ここで主人公は、一番避けたい結末であるはずの、相手にさよならと言われた時にどう振る舞うかを想像している。主人公はここでも、相手の前では強気でい続けようとする。既に彼女がいる相手と、週に1度だけという条件のもと、相手からの連絡によって会えたり会えなかったりするし、相手は時には彼女のことを話す…そんな関係がいつ終わるかも、主人公は予測できないし、終わりを拒否することさえできない。関係の終わりを言い渡されても、うなずくしかないのである。

徹底して相手に主導権を握られたまま続いている恋なのに、主人公は自分の本音を徹底して相手には隠す。そんな主人公の、究極の本音がポロっと吐き出されるのが、上掲歌詩の直後に入る「I wanna be your lover」という一節である。loverにはいろいろな意味がある。それこそ愛人のような関係を指す言葉でもあるが、ここでは「愛する人」「恋人」といった意味で取るのが妥当だろう。

注目すべきは、この一節の扱いである。これは歌ネットの歌詩には記載されているが、「DREAMS COME TRUE」の歌詩カードには記載されていない。また、実際の歌唱を見ると分かるが、吉田美和はこの一節を唄わない。CD音源やライブで披露する際にはバッキングボーカルが唄うし、2010年に開催されたライブツアー「POCARI SWEAT 30th SPECIAL LIVE ドリ×ポカリ 〜イキイキ!」でこの曲が披露された際は、吉田美和はこの一節を唄うバッキングボーカルを指差している。主人公が強気な建前でもって相手との恋の駆け引きを演じ続けるさまを唄い、曖昧な関係が続くことへの寂しさや不安、相手との関係が終焉することへの怯えを率直に唄う吉田美和が、ここにきて主人公の本音の核の部分であるはずの一節を唄わないのである。

このことは、歌詩全体にどのような効果をもたらしているのだろう。少し迂回路ではあるが、ラストの歌詩を見ると、その謎が少し解けると思われる。

私からは電話はしない

Callが鳴っても すぐには出ない

ホントは待ってたなんて言わない

愛してなんて 最後まで言わない

1番のサビの歌詩と3行目まで一致しているが、4行目を見て欲しい。「愛してなんて 最後まで言わない」と、ハッキリと言い切り曲が締められる。「最後まで きっと…」と1番や2番では曖昧にしか想像されていなかった“最後”が、はっきりとここで打ち出されている。ここで主人公は明白に、「愛して」という核の本音を、最後まで絶対に口にせず、封印すると宣言している。

ここでさらに、歌唱のペースにも着目してみたい。1番と2番では、「ホントは待ってたなんて言わない」や「愛してなんて口にしたりしない」の最後のフレーズ「言わない」「しない」が少しスローテンポになり、フレーズを伸ばす歌唱になっている。そして「最後まで きっと…」はより遅いペースで唄われる。対して、曲の終盤では「ホントは待ってたなんて言わない」という1番と同じフレーズが、ペースが遅くなることなく唄い上げられ、「愛してなんて 最後まで言わない」まで同じリズムで一気に唄い上げられる。

このリズムの違いは、主人公の気持ちの揺れ動きの度合いに由来すると考えられないだろうか。1番や2番でサビのテンポが後半に行くにつれスピードが落ちていくことで、主人公の気持ちの躊躇いが暗示されていると解釈できる。躊躇いの気持ちは「きっと…」というフレーズにも表れ出ている。強い建前で自分の本音を隠そうとする主人公には、この時点で最後までその建前を守り続けられるのか、不安があるのだろう。

それに比べ終盤では、終焉の場面を主人公が具体的に想像したことで、自分の強気な建前に対する躊躇いがなくなっている。終わりを告げられるときにも強気で行こう、本音を悟られないようにしよう、と決意した主人公は、終盤において、1番や2番よりももっとはっきりと、相手との強気な駆け引きを続けることを決意する。

終盤まで歌詩を見たところで、“I wanna be your lover”の謎に立ち戻ろう。“I wanna be your lover”を挟んだ前半部と後半部を、「DREAMS COME TRUE」の歌詩カードにある通りに表記してみると、あることに気がつく。

さよなら言われて 泣き出さないように

いつでも平気な顔で うなずけるように

 

私からは電話はしない

Callが鳴っても すぐには出ない

ホントは待ってたなんて言わない

愛してなんて 最後まで言わない

上掲引用を見てみると、「~ように」で締められる前半部が後半部の行為の動機になっていることが分かる。つまり、相手から関係の終焉を言い渡されても、泣くことなく頷けるように、私から電話はしないし、電話が鳴ってもすぐには出ないし…と続く。すなわち、歌詩のなかで繰り返し描かれてきた強気な建前が、相手との関係が終焉するときにも本音を隠し続けられるようにするための条件となっているのである。

この前半部と後半部の関係性が分かるようにするためには、究極の本音である“I wanna be your lover”は歌詩に書かれてはならないし、ボーカルによって唄われてはならない。バッキングボーカルや会場で唄う観客の声全体を含めて考えれば、「週に1度の恋人」という歌では、究極の本音である“I wanna be your lover”と、躊躇いを失った建前(終盤の「私からは電話はしない~」)が撞着している。しかし、あくまでも歌詩世界や吉田美和の歌唱パートだけ見れば、究極の本音は書かれず、唄われないのである。

究極の本音は歌詩には書かれず、唄われもしないが、それでも音楽の世界には表現されている。別れの場面でも弱気にならないように、私はいつでも強気でいるんだ、と主人公が心境を唄うところの、歌詩と歌詩の少しの隙間に、究極の本音がバッキングボーカルによって唄われる。それはさながら、どこまでも強気な主人公が、自分の本音に蓋をして建前を語ってきたのが、ふとした瞬間に蓋がずれて本音が漏れてしまったようである。本音の極致と躊躇のない強気な建前が撞着している様は、主人公の恋愛の二面性を表している。

先に紹介したエッセイで取り上げた「Ring! Ring! Ring!」では、〈本音〉を〈建前〉で覆い隠す構造が歌詩世界の中盤で綻びはじめ、終盤では〈本音〉を隠すことなく相手と接することの喜びを主人公が受容していくが、「週に1度の恋人」においては、終始〈本音〉は隠され続ける。それは彼女がいながら主人公と曖昧な関係を続けようとする相手だけにではなく、ボーカルの歌唱においても、歌詩世界を読みとく読者に対しても隠される。愛して欲しいという〈本音〉が知られてしまった場合、主人公は相手に負けてしまうからである。

都合のいい存在として扱われる主人公は切なさや苦しさを抱えながらも、相手に負けてしまうことだけは避けたい。それならば、本音をひた隠しにして都合のいい存在で居続けるのが、主人公にとってもまた、都合がいいのである。「Ring! Ring! Ring!」が、主人公が「恋愛の二重性」を引き受けて自分らしく接するまでの過程、いわば“恋のはじまり”の瞬間を描いているとすれば、「週に1度の恋人」は主人公が「恋愛の二重性」を徹底して隠し通すことで、お互いにとって都合のいい関係を維持し、“恋のおわり”をいつまでも先延ばしにしようとする様子を描いているといえる。

 

おわりに

ここまで、「週に1度の恋人」を題材に、吉田美和の歌詩世界において「恋愛の二重性」がいかに描かれているのかを見てきた。そして、主人公の核となる本音を吉田美和は唄わず、歌詩にも記載しないことで、恋愛の二重性を唄うということが「週に1度の恋人」という曲全体で成し遂げられていることを示した。恋愛の二重性をひた隠しにする様を描くことで、恋愛の二重性を浮かび上がらせるという逆説的な手法があり得ることを、「週に1度の恋人」は示してみせた。本稿を通じて、吉田美和の歌詩世界の深淵にほんのわずかながら迫れたと信じたい。

なお、繰り返すが、本稿で提示した歌詩世界の分析は、筆者の一つの解釈にすぎない。私とは違った読み方もあり得れば、私の解釈に異を唱える者もいるだろう。本稿がきっかけで、吉田美和の歌詩世界を読みとく試みが増えてくれれば、これ以上に嬉しいことはない。

最後に、本稿のタイトルは「恋愛の二重性を唄う吉田美和(I)」となっているが、これは同タイトルのブログ(II)や(III)が控えていることを示唆している。本稿の執筆構想時は、本稿で「週に1度の恋人」だけではなく他にあと2曲を取り上げて、3曲を比較しながら論を進めていくつもりだった。しかし、「週に1度の恋人」の考察を書き終えた時点で、いかんせん字数がものすごいことになってしまった。なので、本稿で取り上げ損ねた他2曲については、第二弾、第三弾のブログにて取り扱おうと思う。

*1:きっかけは複数あるが、2014年に発売された『吉田美和歌詩集』を手に取ったことや、2021年にライブツアー「DREAMS COME TRUE ACOUSTIC風味 LIVE 総仕上げの夕べ 2021/2022 ~仕上がりがよろしいようで~」に参加したことなどがある。機会があれば、稿を改めてこのことについても論じてみたい。

*2:本文でも触れるが、歌ネットの歌詩は「DREAMS COME TRUE」の歌詩カードの歌詩と表記(1番“かけひき”→“カケヒキ”など)や歌詩として書いている範囲(冒頭「Fu ha ha...」は歌詩カード版にはない、など)が微妙に違うことに留意されたい。