限りなく絶望に近い希望——DREAMS COME TRUE「いつのまに」

はじめに

人はふつう、様々なことに対して鈍感なまま生きている。例えば道を歩いているとき、その道を舗装してくれた工事作業員に常々感謝している人はいないだろうし、その作業員がどのような環境で舗装してくれていたのか、きちんと待遇は支払われていたのだろうか、などと思いを巡らせることは、ほとんどの人はしない。私は現在パソコンに向かってこのブログを書いているが、このパソコンはどのような工程で作られたのか、部品はそれぞれどこから調達されたのか、それぞれの過程でどれだけの人が関わってきたのか、そうした人たちにきちんと見合っただけの賃金が支払われているのか、などといったことは、真剣には考えていない。人は一人では生きていけないのは当然のことであるが、自分が生きていくなかで、どれだけたくさんの人の支えがあって生きていられているのか、省みることは滅多にない。日常生活を送るなかで、人はさまざまなことを考えているようにみえて、実はほとんどの考え得ることを考えずに過ごしているのである。むしろ考えるに値すること(人それぞれだろうが、例えば仕事のこと、恋愛のこと、趣味のこと、最近の政治のこと、自身の将来展望のこと、など)について真剣に考えるために、私たちはそれ以外のことに対しては鈍感な状態のまま、日々暮らしている。

しかし、常にその原則がまかり通るはずもない。特に、自分が鈍感な状態で判断し、行なってきたことが、誰かを傷つけてしまったり差別してしまったりしたことが分かったとき、その鈍感さを省みる視点が立ち現われる。なぜもっと考えて行動しなかったのだろう、少しでも考えればこんなこと回避できたはずなのに、と自分の鈍感さを責め、傷つけてしまった人に申し訳ないと罪の意識を抱くだろう。

そしてもし、そのことで発生した事象が、すべて自分に責があり、自分を責めるしかないと思い込まされたとき、人は絶望を経験する。きっと、その事象に関係ない他のことにまで思いを巡らせて、自分がいかに多くの人を傷つけてきたか、あるいは傷つけた可能性があったかについて、深く考えるだろう。これだけ迷惑をかけるのであれば、いっそ自分という存在がいなくなってしまえば、とすら考えるかもしれない。

冒頭からいきなり重いたとえ話が続き申し訳ないが、これは私が2年前、実際に経験した事象である。私は、私が書いたことをめぐってある人を傷つけてしまった。そしてそのことは、少しでも考えればそうは書かなかったことであったので、私の鈍感さに由来するものであった。そのことに気づかされたとき、私は申し訳ないと思ったし深く反省した。

しかし、傷つけられた当人は私のした行為そのものよりも私自身に執着していた。私の鈍感さゆえ相手を傷つけてしまったことには間違いがないが、全ての責が私にあるかというと微妙な事象のようで、私が相談した人は皆口を揃えて「その人の言い分は通らない」と言った。私も直感的に、自分に非がありながらも、このように問われ続ける問題なのだろうか、とずっと考えていた。しかし、その人は私にすべての非があるように捉え、私のした行為よりも次第に私自身に執着を見せるようになった。その結果、私は体調を崩してしまった。

なぜ私は体調を崩してしまったのか。それは、その人が握っていた情報が、私のプライバシーに関する情報であったからだ。その人が私の名前を書いた瞬間、あるいは事の詳細を述べた瞬間、私はこれまでと同じような社会生活を送れなくなる。私は、当人の主張や理屈に違和感を覚え続け、私自身への執着をやめてほしいと思い続けていたが、異を唱えた瞬間、私の情報がその人によって曝されることを懼れ、それを吞み込むしかなかった。理不尽な主張や勝手な思い込みにもとづく投稿も受け容れるほかなく、私さえ我慢すればいいのだ、とずっと考えていた。

私はDREAMS COME TRUEの大ファンで、ほぼ毎日ドリカムの曲を聴くなかで、嫌なことや悩みごとがあってもすぐに忘れてしまっていたが、体調を崩したときばかりはそうはいかなかった。大好きだった「ねぇ」や「AGAIN」「あなたが笑えば」(どれもとてもいい曲なので、よければ調べて聴いてみてほしい)を聴いても、何も刺さらず、応援歌として知られる「何度でも」や「TRUE, BABY TRUE.」も、自分はこの歌詩のなかに存在しない、と思った*1。普段私は歌詩の人物に自分を同一化して聴くことはしないため、こんなことは考えないが、この時ばかりは歌詩世界に救いを求めていたのかもしれない。吉田美和の歌詩世界を通じて、私の惨状を慰めてもらい、一歩踏み出す勇気を与えてもらいたかったのだと思う。でも、あまりに自分の絶望が深かった私には、それはできなかった。

そのようななかで、唯一私の状況に寄り添ってくれると感じた曲が、「その先へ」と「いつのまに」である。「その先へ」は「眠れない夜の 悲しみの海の 出口の見えない 暗闇のその先へ」(中村正人監修、豊﨑由美構成・編集『吉田美和歌詩集 LIFE』新潮社、2014年、p. 129)という歌詩をみたときに、あっ、深い絶望に打ちひしがれた私でも、〝その先〟を見据えていいのだ、と素朴に思えて、久しぶりに涙が出てきた。もう一曲の「いつのまに」はそれ以上に、過酷な状況に立たされていた私に寄り添ってくれ、さらに自分を絶望から引き剝がしてさえくれた。本稿はDREAMS COME TRUEの「いつのまに」の歌詩世界についてみていくことを通して、私がいかにこの曲に心を震わされたか書いていこうと思う。

なお、本稿で引用された実際の歌詩や曲の背景の説明以外に書かれていることは、すべて筆者の一つの解釈にすぎないことをつけ加えておく。これは本ブログの記事で毎回ことわっていることだが、本稿は私自身の経験と直接的に結びつきながら歌詩の考察が進むため、改めて強調しておきたい。

「いつのまに」とは

「いつのまに」は、2001年に放送されたテレビドラマ「救命病棟24時」の第2シーズンの主題歌である。「救命病棟24時」といえば、フジテレビが手掛ける人気シリーズで、2013年に第5シーズンまで放映されているが、そのすべてのシーズンの主題歌をドリカムが手掛けている。「朝がまた来る」(第1シーズン)、「何度でも」(第3シーズン)、「その先へ」(第4シーズン)、「さぁ鐘を鳴らせ」(第5シーズン)と、他の主題歌はどれもドリカムを代表するヒット曲になっている。

歌詩:DREAMS COME TRUE いつのまに 歌詞 - 歌ネット

PV:

www.youtube.com

コンサート映像(裏ドリワンダーランド2016より):

www.youtube.com

救命病棟24時」シリーズの主題歌のなかでも、「いつのまに」は異彩を放っている。他4曲の歌詩は、困難な境遇やままならない状況からの救いが企図されており、いわゆる「応援歌」として広く知られるナンバーである。それに比して「いつのまに」の歌詩は終始暗く、一見すると励ましや救いの要素はほとんどない。長年ドリカムファンをしてきた体感からいうと、「救命病棟24時」シリーズの主題歌全5曲のなかでも、「いつのまに」はファンのなかでの人気は一番少なく、知名度も一番低い。

しかし、一部のファンからは根強い人気があるからか、ドリカムのライブでは今でも定期的に演奏されている。直近でいえば、2021-22年のライブツアー「DREAMS COME TRUE ACOUSTIC風味 LIVE 総仕上げの夕べ 2021/2022 ~仕上がりがよろしいようで~」ではフル尺で披露された。このライブに参加した際には、同行者がこの曲のファンだったため、披露された際はそのことが嬉しく、改めて聴くといい曲だな、と思ってはいたが、昨年絶望に打ちひしがれていたタイミングで聴いたときには、それどころではないインパクトを私にもたらした。なお、歌詩を引用する際は、『吉田美和歌詩集 LIFE』の「いつのまに」(中村正人監修、豊﨑由美構成・編集、新潮社、2014年、pp. 81-2)を典拠とする。

 

絶望に次ぐ絶望

耳をすましては 奇跡をあきらめ

空は暗め 火曜の雨

「いつのまに」は以上の歌詩からスタートする。声に出して読んでみる、あるいは唄を聴いてみると分かるが、「あきらめ」「暗め」「雨」と「め」で韻を踏んでいる。

それにしても、何とまあ暗い出だしだろうか。耳をすませていたということは、唄い手は奇跡の可能性を信じていたのだろう。それでも無理そうだ、と思ったようである。奇跡をあきらめることとそのときの天候という本来は関係がないはずのこと(このことは後々重要な意味を帯びてくる)を、唄い手は韻を踏むことで同一次元のこととして連想しているといえる。とても、「夢は叶う」をアーティスト名に掲げるグループの曲とは思えない。

虹を願っては 届かぬ手ひっこめ

終わりは 今日もまた苦め

願っていた奇跡はなるほど、虹がかかることだったのか、とここで合点がいく。ただ、「届かぬ手ひっこめ」とあることから、虹が実際にかかったとしても、虹は自分より遥か高いところにしかなかった、という可能性もある。「終わりは 今日もまた苦め」の「今日もまた」というフレーズに、唄い手が苦い終わりを迎えたのは果たして今日で何度目なのだろう、と思いを馳せてしまう。

あぁ いつのまに 涙さえ忘れて

あぁ 泣きながら 生まれたのに

先に述べたライブの同行者がこの曲を好きなのは、この一節に感銘を受けたからだと以前話してくれた。ほとんどの赤ん坊は泣きながら生まれてくる。赤ん坊から多少成長しても、子どもは少しでも親と離れたときや不快な経験をしたときに泣く。泣くという行為はそれだけ人間にとって生理的に当たり前の現象だったはずなのに、いつのまにか自分は涙を忘れてしまった。悲しみや絶望が日々積み重なり、自分のなかで当たり前の事象になった結果、辛さや痛みに対する生理的反応までが自分のなかで忘れ去られてしまう。何と悲しいことか。

人は、涙を流さないことを学ぶなかで大人になっていく側面がある。男は「泣くなんて男らしくない」と言われ続け、女は「泣いたって何も解決しないよ」と言われ続けることで。泣かないという経験は、社会が要求する「大人らしさ」に私たちがしたがって社会化されていくなかで、徐々に忘れ去られていく。そうやって自分のなかにある苦しみの表出を我慢することを通して、次第に痛みや苦しみ自体が段々とみえなくなっていく。冒頭で私は、人がさまざまなことについてたいていは鈍感な状態で生きている、と書いたが、人は大人になるにつれて、自分のなかにある痛みや苦しみに対しても鈍感な状態を維持していくようになるのではなかろうか。ある人は、己れ自身の痛みと向き合わさせないように社会は成り立っていると説いたが*2、自分のなかにある痛みに鈍感になっていることに気づいた主人公の絶望が、ここには表れ出ている。

詩は二番に移る。

思いためこんでは捨て 夢は覚め

落ちる先は かなり深め

私が絶望に打ちひしがれていたとき、こんなことがよく起きた。自分が抱えている問題について、どうしたらいいだろう、解決のしようがないんじゃないかと思っていると、その晩や翌晩に、その問題が解消される場面が夢に出てくるのだ。その夢はあまりにもリアルで、夢から目覚めてもしばらくはそれが現実かどうか分からない。実際知り合いに「この間こんな連絡くれたっけ? くれなかったっけ?」と尋ねたこともあるほどだ。それが現実のものではないと知ったとき、私は失意の底に突き落とされる気分だった。「思いためこんでは捨て」とあるが、自分のなかで捨てたつもりでも捨てきれなかったものが、夢という形に変換され、理想的なかたちで自分のなかに立ち現われる。夢とはなんとも残酷なものだと思ったし、夢から醒めたくないとまでは言わないが、何も変わらない現実に対し深い絶望を覚えた。

そして再び、「あぁ いつのまに~」と、一番のサビが繰り返される。終始思い通りにいかず、そのことの蓄積が自分自身の絶望をどんどんと深くしていく様が、どこか自分を突き放したような気楽さで唄われていく。

 

祈り、そして絶望

ここまで絶望一色にしか見えない「いつのまに」の歌詩世界だが、二番が終わったあとには、次の一節が挟まれる。

火曜の雨 明日のため 止め

ここには、唄い手の、ここまで己れ自身のなかに折り重ねられてきた絶望に光が差すように、雨が止んで欲しいという超常現象を期待する祈りが、「雨」「ため」「やめ」と立て続けに韻を踏むことで表明される。どれだけ絶望が深くても、せめて天気だけは、私の味方でいてほしいということだろう。祈ることで天気が変わることと、自分の境遇が変わること。冷静に考えてみれば後者の方が実現可能性は遥かに高いはずだが、唄い手にとっては、天気が変わることの方が祈りの対象として意識しやすかったのだろう。明日も私が生きていけるために、絶望から少しでも前進するために、どうか、雨だけでも止んでくれ、という、個人単位でありながらも大きな規模の祈りである*3

あぁ いつのまに 涙さえ忘れて

あぁ 泣きながら 生まれてきたはずなのに

再びサビのフレーズが繰り返される。そして、涙さえ忘れてしまった私への深い絶望がリフレインされる。一番と二番のサビは「生まれたのに」で終わっているが、ここでは「はずなのに」で終わり、この歌詩には続きがあることを予期させる。

あぁ いつのまに 泣くことを忘れて

あぁ いつのまに 叫ぶ声も失って

叫ぶことすらも、自分のなかで封印してしまった。最後に叫んだのはいつだろう、誰かに助けを求めて声を上げたのはいつだろう。それが思い出せないほど、永く自分のなかに封印していた原初的な体験の喪失を、唄い手は悲しんでいる。

あぁ いつのまに 涙さえ忘れて

あぁ 人はみな 泣きながら生まれるのに

この一節が唄われて、「いつのまに」の歌詩世界は幕を閉じる。二番の歌詩が終わってからは、涙や叫ぶ声を忘れた自分への深い絶望が立て続けに表明される。まるで、直前の祈りをかき消すように。

このことを踏まえれば、本稿のタイトルは「限りなく絶望に近い希望」となっているが、むしろ歌詩世界の全体を見た末に出てくる言葉は、恐らく「ほとんど絶望一色の絶望」ではなかろうか。希望が唄い手の根底にあるようにはどうも見えない。

しかし、ほとんど絶望に彩られた歌詩世界のなかで、雨が止むことを祈るあの一節があっただけでも、いやむしろ、この絶望に満ち溢れた歌詩世界のなかで、短い祈りが一節だけ描かれていたことこそが、私にとっては救いだったのである。絶望一色にみえる歌詩のなかで、唄い手が唯一希望を見出そうとする一節をもう一度引用する。

火曜の雨 明日のため 止め

私は実際にこの一節を読んだ際、あぁ、ここに私がいると思えた。月曜の夜、わたしの仔細を匂わせる投稿を見てしまい、寝るどころではなくなった。慌てて『吉田美和歌詩集 LIFE』を手に取り、貪るように読んだ。そのなかでこの一節に出会う。時刻は夜中3時を回っていて、とっくに火曜日になっていた。外は前日の夕方から続く小雨が降りしきっていた。あまりにも自分の状況とピッタリだった。安直な言い回しではあるが、心が本当に震えた。火曜の雨、明日のため、止め、と私も思った。そして、気づいたら涙を流していた。

そして、そこで涙が流れたことで、私はこの歌詩を越えられた、と思えた。涙さえ忘れたことに何よりも深い絶望を覚える唄い手と違い、私は涙を流せたことで、深い絶望に彩られた詩の言葉が、自分から切り離される感じがした。私は、この絶望一色の歌詩世界のうち、この祈りの部分にだけ自己同一化し続ければいいんだ、と思えた。思い通りにいかなくても、この祈りが象徴する小さな光を自分のなかに灯し続けることで、このめちゃくちゃな世界も何とかなる気がする。そこには、私が求めていた救いがあった。翌朝、雨は止んでいたかどうか、覚えていない。この一節と出会い、自己を絶望から切り離せた私にとっては、すでに天気はどうでもいい問題になっていたのだろう。

 

おわりに

ここまで、「いつのまに」の歌詩世界を見てきた。これまでの歌詩世界の考察では、ここで歌詩全体を振り返る記述を展開しているが、本稿ではそれはしない。これはあくまでも私個人の解釈だし、しかも本稿はこれまでの考察と比べて、かなり私自身の経験が貫かれて解釈が展開されている。これまで繰り返し聴き、『吉田美和歌詩集』や歌詩カードで歌詩を何度も読んできたどのときに考えたことでもなく、あくまでも、あの瞬間に私が思ったことを、今こうして追想しながら書いているのが本稿なのである。

これをここまで書き終えたことで、私は、本当の意味で、新しい一歩を踏み出せると思う。あの時より、今は何倍も強いから、迷ったとしてもその度に、ぐっと前へ進むことができると信じている。大丈夫、最悪の時はもう過ぎているから。必ず心から笑える日は、やって来るから。私が私でいられる日は、もうそこで手を振って待っているから。

*1:もっと言えば、「何度でも」に出てくる「君」や「TRUE, BABY TRUE.」の「友達」、「家族」、「大事な人」といった存在も、今の私の周りにはいない、と思っていた。声を上げること自体に躊躇い続けた結果、自分で問題を抱え込もうとしていた。そのことも、歌詩世界への共感を遠ざけることになった。周りでハラスメント被害に遭った人や苦しい思いを抱えている人には、周囲の人や信頼できる人に相談するといいよ、と伝えてきたが、いざ自分がその状況に直面したことで、相談に躊躇してしまう気持ちが今ではよく分かる。それでも敢えて、いやむしろ自分が相談しないことによる辛さを経験したからこそ、私は人に相談することの可能性に賭けたい、と今では思える。

*2:ウーマン・リブの代表的な担い手であった田中美津の著作『新版 いのちの女たちへ:とり乱しウーマン・リブ論』パンドラ、2016年[初版1972年]で提示される議論。余談だが、筆者の本ブログのすべての記事の底流には、田中美津の思想がある。

*3:あるいは、ここで唄い手は、ここまで唄ってきた個人単位の絶望よりも、雨という大勢の人に影響を与える不幸を取り除くことを祈っていると考えることもできる。ここまで歌詩世界の言葉をほとんどそのままの意味で解釈して使ってきたが、これを比喩として捉えたときに、「雨」は自分だけではなく多くの人に一様にもたらされる不幸を指していると捉えることができる。日々の生活がままならず、絶望は積み重なるばかり、でも私のことはどうでもいいから、せめて皆の絶望が消えてほしい、例えばロシアとウクライナの戦争は止んで欲しい。そんな、深い絶望にいながら(あるいはいるからこそ)、自分以外の大勢に影響があるような不幸を取り除くことに祈りを見出しているのが、唄い手であると解釈することもできる。いずれにせよ、唄い手がスケールの大きな祈りをしていることには変わらない。